まこっち!アーカイブス・セガ編(2001年2月/2002年4月)

セガが家庭用ゲーム機撤退の発表から
ちょうど10年が経ちました。


あのときはドリームキャストはどうなってしまうのやらと
心配になってきたものですが・・・


とうとう過去のものとなってしまいました。


今回のアーカイブスは
そのハード撤退発表から翌日の2001年2月1日に書いた日記と
翌年2002年の日記に書いたコラムを再構成したものの2つを
紹介させていただきます。


まずはハード撤退の発表から1日経った
2001年2月1日に綴った日記をどうぞ。

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まこのすけぷちコラム・セガの今後について
(2001年2月1日)


 いやぁ、おどろいた。

 セガがDCに加えて、PS2やGBAなどにも
 ソフトを供給することとは。

 これは、何かに似ている。


 そう、思えばいまから16年前、
 「ソニーがVHSビデオデッキを生産する」と発表したことだ。

 いままで、ソニーは
 「ベータ」というビデオカセットの方式を採用していた。

 それに対して、ビクター・松下などによる
 「VHS」という方式があって
 ビデオカセットは、この2方式によるシェア争いを展開していた。

 そして、ソニーのこの発表によって、
 レンタルビデオ店から
 だんだん「ベータ」がなくなっていき、
 最終的には「VHS」が事実上世界標準となっていたのだ。

 今回のセガの発表は、
 まさにこれを凌駕するんだったと感じる。

 まさか、ソニーがビデオカセットの屈辱を晴らすべく、
 ゲーム機の世界標準になっていくのだろうか?
 そして、セガも世界一のゲームソフトメーカーになっていくだろう。

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なんかとりとめのないことを書いてしまいましたけれども、
その時はソニーがVHSデッキを発売したときに匹敵するような
インパクトがあったことを書いていました。

そのあとも東芝がHD DVDをやめて
BDレコーダーを発売していたりしておりますが・・・


まぁ、それはそれで。



そのつぎは2002年の4月に
日記がリニューアルしたときにミニコラムのコーナーがあって
そのコーナーに書いていたものを再編集して
ずらずらっと綴ったものを紹介します。


少しお付き合いいただけたら幸いです。

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アーカイブその2
(2002年4月2日~4月6日)
私とSEGA

昔から知ってましたw

 私とセガとの出会いは
 小学校時代までさかのぼります。
 
 当時は学校ではゲーセン禁止だったのにもかかわらず、
 私はひたすらゲーセン巡りをしてました。
 駄菓子屋とかも含めて、
 ゲームのあるところくまなく探してました。
 
 その中でも近くのボーリング場の中のゲームには
 たまたまセガと任天堂のマシンがあったのです。
 
 当時はタイトーの「スペースインベーダー」全盛の時代で、
 任天堂もセガも「インベーダー」と同様のゲームがありました
 (私は「ゲームセンターあらし」を読むまで、
 タイトーのものがオリジナルとは知りませんでした・笑)。
  任天堂のは3つの配列パターンから選べましたし、
 セガのはスイッチの切り換えで「ヘッドオン」などのゲームが遊べたのを記憶しております。
 そのボーリング場では引っ切り無しに
 任天堂・セガの新しいゲームが入ってくるわけです。
 例えばセガでは「さむらい」「ミサイルコマンド」「トランキライザーガン」「モナコGP」などで、
 任天堂では「シェリフ」「スペースファイアーバード」などが入ってきてました。
 しかし私は見ているだけでしたけどw。
 
 やがてナムコのゲームが近くに入ってくると、
 ゲームの世界観が変わってくるような感覚になって、
 セガのゲームは次第に影が薄くなって来てました。
 
 3、4年生になると
 私もゲーセン巡りはあまりしなくなり、
 ゲーム&ウォッチを始めとする液晶ゲームに
 興味が移ってくるわけです。
 
 そんな中任天堂のファミコンが発売になり、
 私も欲しくなって買おうと思ってたら売り切れていたその時に、
 偶然にもセガのゲームと出会うわけである。

うちにセガがやってきた!
 
 昨日までは昔からセガのゲームのことは知っていたという話をしておりましたが、
 今日の話はDCよりずっと前にセガのゲームを家で楽しんでいたというお話をします。
 
 たしか小学校5年頃の話ですね。
 
 その時のお年玉でTVゲームを買おうと計画しており、
 その中で任天堂の「ファミリーコンピュータ」
 (いわゆる「ファミコン」ですねw。
 当時は「ファミコン」すら呼ばれていない時代でした)が、
 「ドンキーコング」が遊べるのでものすごく欲しかった。
 しかしどこ行っても売り切れ。アキバに行っても、錦糸町にも行っても。
 しかし錦糸町の駅ビルの中のおもちゃ屋で
 「オセロマルチビジョン」なるものを発見。
 これはオセロゲームが内蔵されていて、
 しかもセガSG-1000シリーズ対応のソフトも動くという
 ある意味すごいマシンでしたw。
 私はセガのソフトもまあまあいいですな、
 と思っていたので即買いしましたw。
 
 最初はカートリッジを奥まで差さなかったことに気づかず、
 店に持っていったことがありましたが、
 同時に買った「Nサブ」にハマってしまいましたね。
 後に購入した「チャンピオン・ベースボール」も
 私の野球好きが奏してハマってしまいました。
 このゲームは「C」と「P」の2チームしかなくて
 (しかも先攻・後攻も決められなかったw)、
 打順も不動wというものでしたが、
 私なりには大満足でした。
 
 しかし、任天堂の「ベースボール」が出てからは
 友達がやっているのを見て、
 「うらやましい・・・」とも思うように。
 
 結局夏にパソコン(とはいっても安物w)を買ってしまったため、
 わずか半年ぐらいで飽きてしまいました・・・。
 
 社会人になってからは、ゲームがむしょうにやりたくなって
 スーパーファミコンを買ってしまい、
 やがてソフトが余り発売されなくなってくると、
 (当時の)次世代機が欲しくなってしまい、
 セガサターンかPSか迷うことになるのだが・・・。

プレステとサターン

 スーパーファミコンのソフトが出尽くしたところに、
 兄がNINTENDO64を買ってしまって
 「マリオ64」などではまっている時に
 私も次世代機が欲しくなってしまいました。
 当時は64のほかに
 プレイステーションとセガサターンがありました。

 しかしこの時点ではまだ1つに決められませんでした。
 それはなにを遊びたいのかわからなかったから。

 しかし私も昔のゲームをちょっと遊んでみたくなってしまい、
 PSでは「ナムコミュージアム」、
 SSでは「SEGA AGES」が発売されていたので
 どれを買うのか迷ってました。

 よく考えてみたら
 私はどちらかというとナムコのゲームに思い入れがあったことと、
 当時すでにFF7がPSで発売することが決定していたため、
 将来的にソフトが増えるだろうとおもっていたので
 自然にPSを選んでしまいました。

 その結果、FF7どころかDQ7もPSでの発売が決定されたため、
 PS有利になったのはご承知の通り。
 SSにも「リアルサウンド」など
 私がやりたかったソフトも後に出てきたのですけどねw。
 「セガバンダイ」騒動wやらゴタゴタがあって
 いつのまにかSSの陰が薄くなってしまっていたところに、

 彗星のごとくあの男が登場した。

せがた三四郎、そして湯川専務

 PSの攻勢に対抗してセガが送り込んだのが、
 藤岡弘が演じる「せがた三四郎」。
 あの独特の雰囲気でセガサターンを大いに盛り上げた。
 CM好きの私も、SS持っていなくても
 彼のCDを持っているほどお気に入りでしたね。
 オールせがたで戦ってたり、足でホームランを打ったり、
 そしてさくらとデートw。
 いろいろなバリエーションのCMがありましたけれど、
 一番インパクトを受けたのは、
 やはりでかいセガサターンを担いで、
 でかいコントローラーで拳で叩いていたりしていたCMでしたね。
 たぶんセガCMでは一番成功した例ではないでしょうか?
 
 そして、ドリームキャストの発表。
 せがたが活躍している間に
 すごいマシンを発表してしまうとは・・・。
 しかも発表前日の新聞広告に
 「セガは倒れたままなのか?」
 といったコピーで全面にドドンと載っていたのが印象的でした。
 「おいおい、まだまだサターンはいけるぞ」と
 私も思っていたのですけど、
 やっぱりすごいスペック&構想は
 「ひょっとして今度こそセガの時代が・・!?」
 と予感するほど私は期待してましたね。
 当日の「トゥナイト2」では
 入交社長(当時)の顔を使ったデモンストレーションもあったので
 意気込みが感じられました。
 
 さらに後になってCMに湯川専務が登場。
 「セガなんてダサイ」と言われて
 堕落の道(?)へ突き進む専務の姿があって、
 それからドリームキャストで巻き返しを計る・・・
 という内容でした。
 そして滝沢君(後のタッキー&翼のタッキーw)とともに
 DCを売りこむという内容も笑えましたね。
 
 そして、せがた三四郎もDC発売前に
 セガに打ち込まれたミサイルを阻止していくとともに
 消えていき、世代交代に・・・。
 
 まさしくDCモード突入、といった感じでしたが・・・
 
 初回から生産につまずき、湯川専務も降格に・・・w
 それでも私はゲームショウや「シェンムー」の発表会にも出向くほど
 DCに期待してました
 (専務目当てでしたけどw。
 でもスケールのでかさ、簡単な操作性には脱帽しました)。
 
 その後も「後藤嘉男キャンペーン」wなどいろいろなCMがあったものの、
 私は「シェンムー」とともにDCに期待を込めていました。
 
 そして2000年末、シェンムー発売とともにDCを購入。
 翌年9月にはネットにも繋ぎました。
 
 しかし2001年初頭、
 早くも残念なお知らせが聞かされてしまうこととは・・・。

ドリームキャスト製造中止と今後のセガ

 2000年の後半に入ってから
 DCの周辺も盛り上がってきていました。
 
 12月にPSOが発売されてから
 当時のDDCNにもかなりの人からの報告があって、
 PSOの面白さを伝えておりました。
 そして私がDDCNの投稿を本格化したのもこの時期です。
 
 「これでDCの時代が今度こそくるだろう・・・」
 と私は思っておりました。
 
  ところが翌年の1月に
  衝撃的なニュースが飛び込んだ。

 「ドリームキャスト 3月末で製造中止」

 このニュースには私たいへん驚きました。
 セガがDCの影響で赤字が膨らんでいたのでした。
 そして他社ハードにもソフトを供給することにより
 経営を改善していくということで、
 ちょっと複雑でした。
 
 もし私がDCを持っていなかったら、
 「他社ハード供給」にすごく喜んでいたことでしょう。
 セガのゲームがPS2やGBAでも遊べるということにね。
 でもセガのハードを持っていると、
 何かやるせなさと喜びが混ざってしまい、
 複雑になってしまいます。
 
 こういう感情がセガに対する愛情が
 ひしひしと感じられるようです。
 
 「セガのゲームはセガハードで!」
 
 という状態が長く続いていたもので、
 そういう愛情が生まれてきてしまってしまったのかも知れません。

 最後に私からの提案。
 
 セガは将来
 「世界一のコンテンツプロバイダー」を目指す
 としていますが、
 今度のライバルはハードメーカーではなくて
 ソフトメーカーになってしまいますので、
 まずは
 
 「打倒!コ*ミ!」
 でも目指してくださいw(少し自主規制)。

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以上、アーカイブスでした。


しかしまぁ、最近のセガは
初音ミクやらけいおん!やら
そちら方面の方にも注力して行ってますなぁ。


もちろん結構いいゲームも作ってますけどね。
「龍が如く」とか。


それではこれで失礼いたします。
まこっち!

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